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日航機墜落から26年
JUGEMテーマ:日記・一般

私は当時12歳の小6でした。
海に行く前日で、飛行機がレーダーから消えたと言うテロップが最初に知った時だと思います。
そして、次々に特番に代わるテレビ、ネットの無い時代ですから、情報はテレビだけで当時両親がやっていた食堂で近所の常連さんと見ていたいました。

翌朝、まだ関越トンネルは開通してなく(当年の秋開通)、海のある新潟に行くのは長旅だったので4時頃に起きて出かけたのですが、テレビ(当時としては珍しく車に極悪映像のが付いてた)もラジオも特番で三国峠の渋滞にハマっていました。

そして、到着と同時位に生存者が発見され、内1人は私と同年の女の子でした。
前橋の実家近くに生存者が運ばれた日赤があり、報道車両がたくさんあったのをチャリンコ小僧だった私はよく見ました。
合同葬儀も近所の火葬場で行われたりもしたので、群馬と言えど山奥に墜落した事故なのに身近に感じた大事故でした。

飛行機は怖いと幼心に植え付けられましたが、まさかそれから10年数後に3日に1回は飛行機に乗り日本中を飛び回るような日々になるとは思いませんでしたし、今ではすっかり飛行機好きになるとは思いもよらなかったですが、一度も飛行機に乗った事のないまま亡くなった母はよく心配しておりました。
特に初めて飛行機に乗ったのは渡米の時、さらに国際線で現地の治安や生活よりも飛行機が落ちないか心配しているほどでした(笑

もう、あの事故から四半世紀を超え、昭和から平成に、私も予想もしなかった(ってか、当時なかったし)仕事に就き、家庭まで持って長男は大学卒業なんて年になってしまいました。

ただ、几帳面とか細かいとか神経質だと揶揄される日本ですが、この性格が日本の高度成長の基礎となりMADE IN JAPANと言うブランドを確立し世界から信用されたのですが、安全もこのまま継続され続けたいと願う次第です…現場よりも縦割社会が弊害だとも思いますが。

亡くなられた520名のご冥福をお祈り申し上げます。
author:Muck!, category:ニュース・時事, 07:51
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